偉大なフットボーラーであり不世出のストライカーである釜本邦茂さんが亡くなりました。謹んで御冥福をお祈りします。偉大なフットボーラーがまたひとり星になってしまいました。
釜本さんが現役でプレーしていた頃に僕はサッカーを始めました。思春期に入って、釜本さんの著書を読み、感銘を受けました。
その本とは、「ゴールの軌跡 釜本邦茂自伝」でした。
安く売っていたら、また読みたい本です。今回の記事では記憶を辿って書いていますので、正確さを欠くかな、と思います。ご容赦ください。
思い出とともに、釜本さんから学んだシュートの基本とトラップ技術について書いていきたいと思います。
ストライカーとは決定力!
現在、釜本さんと対戦経験があるテレビ解説者として貴重な存在の松木安太郎さん。貴重な話が聞けます。
利き足は右足だが左足の方が正確
釜本さんは正確なシュートで有名でしたが、得意な角度が斜め45度でした。バズーカシュートと言われた強烈なシュートがネットに突き刺さるシーンを何度もみたものです。
釜本さんには得意なシュートの角度があり、それは斜め45度でした。
しかし、そのシュートのほとんどが利き足の右足からのシュートだったため、左足が使えれば、もっと得点を決めることができるとアドバイスを受けました。
止まったボールを蹴ることから左足シュートの練習を始めたそうですが、ドリブルから、パスを受けてダイレクト、ワントラップとバリエーションを増やしながら練習しました。
左足が思うように使えるようになるためには、左手も思うように使えるようにならないといけないと思い、食事の際には左手で箸を扱う練習もしたそうです。
左足キックをものにした釜本さんは、両足でシュートが打てるようになり、攻撃に幅ができた。
両足が同じように使えなくてもいい、右足ではカーブをかけたり器用なことができるが、正確さでは左足の方が上回るようになったと、釜本さんが後日語っていました。
サッカー少年がこの本を読んで実行したこと
本や雑誌でこのことを知り、僕も苦手の左足でキックの練習をするようになりました。もちろん、箸も左手で扱うようにし、自宅では机の下にボールを置き、左足で触るようにしました。
左手を使う効果があったかはさだかでありませんが、左足のキックが上達してきました。
その後、サッカーの指導をするようになり、苦手な足でも練習さえすれば克服できることを釜本さんのエピソードを踏まえて教えることができました。
少年サッカーでも、利き足をしっかり鍛えることは大事ですが、非利き足を苦手な足にしない努力が必要です。やらないからできない。ただそれだけです。
左右両足の練習をすることは倍の時間がかかりますが、パフォーマンスも倍になると覚えてください。
ネルソン吉村さんから学んだトラップ
釜本さんは高校生の頃から注目されていました。スピードやシュートセンスなど超高校級だったと、早稲田の先輩である川淵三郎さんが語っています。
そんな釜本さんが、パスを受けてプレーするようになったのは、ヤンマーや日本代表でのゲームでしょう。
ヤンマーでは、ネルソン吉村さんがパサーでした。日本代表では杉山さんでした。
ヤンマーのチームメイトであるネルソン吉村さんのボールコントロールを見て、さすがブラジル仕込はボール扱いが上手い、まるで猫のような身のこなしだと評価していたそうです。
釜本さんはネルソン吉村さんからトラップのコツを学びました。浮き球を無駄なくコントロールしてシュートを打つ釜本さんのスタイルはネルソン吉村抜きには語れないでしょう。
ネルソン吉村さんとマンツーマンでトラップ練習する釜本さんは、将来、Jリーグが誕生して、チームの監督をするということなど夢にも思っていなかったでしょうね。
浮き球を制するものサッカーを制する!胸トラップをひたすら練習
ネルソン吉村さんと釜本さんがいるヤンマーの試合は、パス、トラップ、シュートと見どころが多く、サッカー少年たちに大人気でした。
当時はまだ、グラウンダーパスを転がして繋いでいくというサッカーでなく、中学や高校でも浮き球のクロスボールをつないで攻めるというサッカーが主体でした。
日本サッカーリーグでのヤンマーの試合もミドルレンジのパスをつないでいくという攻撃が多かったように思います。
ネルソン吉村さんは、とにかく浮き球の処理が美味かったと記憶しています。胸に何かクッションでも入っているかのようにボールの勢いを吸収して、次の瞬間には足元にボールがありました。
胸に当てて浮かせるトラップ、胸に当てて落とすトラップ、正面だけでなく胸で左右に方向を変えるトラップなど、ボールにマジックがかかっているかのようでした。
対戦チームのディフェンスは、ネルソン吉村さんからのパスが釜本さんに渡らないようにマークしますが、ネルソン吉村さんも釜本さんも激しいマークを受けながら、相手をかわしてプレーを続ける様子が異次元でした。
そんなプレーを見たあとは、ひたすらチームメイトと浮き玉トラップの練習をしたものです。
サッカーを指導する現在でも、浮き球を制するものはサッカーを制すると指導していますが、遠い昔のヤンマーのプレーが脳裏にあるのでしょう。
レジェンドと同じ時代にサッカーができた幸運!
釜本邦茂さんがメキシコ五輪で得点王に輝いた試合は1968年でした。まだサッカーをしていなかったので後日、録画でゲームを見るのですが、著書を読むとそのゲームの激しさがわかります。
試合が終わったあと、選手全員が体力を使い果たし、持てる力以上のプレーをした結果、3日間、歩くことができなかったそうです。ホテルから出るのも辛かったそうです。
現代サッカーでは考えられないエピソードですが、厳しい環境でのゲームであったことがわかります。
僕がサッカーと出会った1970年代は、釜本さんをはじめとする日本代表のスター選手の他に、海外では、西ドイツ、オランダ、イングランドそしてブラジルやアルゼンチンからスター選手が現れました。
ペレ、ベッケンバウアー、クライフ、そしてマラドーナ。現役時代から亡くなる日までその存在は、サッカーと同義語でした。このようなレジェンドたちと同じ時代を生きて、サッカーが出来て、本当に幸運です。
釜本さんが星になった現在、釜本さんに一歩でも近づくストライカーの出現を望む声が大きくなるでしょう。
相手チームから恐れられる存在。それがフォワード。そんな選手の出現が待ち遠しいです。
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