サッカーの元西ドイツ代表「皇帝」と呼ばれたフランツ・ベッケンバウアー氏が7日死去したと報じられました。78歳でした。ベッケンバウアー(以下フランツ)と言えば、1974年の西ドイツワールドカップでヨハン・クライフ率いるオランダを下して優勝したインパクトが強すぎです。
筆者の少年期はベッケンバウアーやクライフとともにあったとも言えますが、クライフも亡くなり、今回、フランツも亡くなりました。サッカー黄金期の1970年代の名プレーヤーが次々と亡くなり寂しい限りです。
フランツ・ベッケンバウアーとクライフ
1970年代を象徴する2人のサッカー選手と言えばフランツとクライフでしょう。伝統的なサッカーにリベロというポジションでプレーする西ドイツは、固い守備と泥臭い得点で勝利を積み重ねていました。
一方、クライフ率いるオランダは、トータルフットボールを引っ提げてまったく新しいサッカースタイルで世界に切り込んでいきました。
西ドイツ対オランダの対戦が1974年ワールドカップ決勝で実現し、西ドイツが優勝しましたが、クライフとオランダのサッカーは世界中のサッカーファンに強い印象を与えました。
皇帝フランツと空飛ぶオランダ人のクライフの異名はそれぞれのプレーを物語っています。
ふたりとも現役を引退したあとは、ドイツやオランダのサッカーを陰ながら牽引し現在に至っています。多大な功績を残した2人は今後もサッカー界に語り継がれていくことでしょう。
フランツ・ベッケンバウアーとアディダス
西ドイツを代表するスポーツ用品メーカーのアディダスと西ドイツ代表のフランツはスポーツブランド「アディダス」の広告塔として日本のサッカーファンに浸透していきました。
テレビCM、サッカー雑誌、スポーツ用品店のポスターなど、アディダスのウエアを来たフランツの姿が定番になっていました。
一方、ヨハン・クライフはプーマでしたね。後で知るのですが、アディダス創業者のアドルフ・ダスラーとプーマ創業者のルドルフ・ダスラーは兄弟だったということで、サッカーの2大ブランドが西ドイツ発祥というわけです。
フランツが来て有名になった「トラックスーツ」は、サッカーウエアと言えばズボンの裾が絞ってあるホッピング型が主流だった時代に、ストレートなシルエットでリラックスできるデザインのウエアが新鮮でしたね。
当時の若者はこぞって買ったのではないでしょうか。
フランツ・ベッケンバウアーとリベロ
フランツはバイエルン・ミュンヘンでプレーしていましたが、西ドイツ代表とともにポジションはセンターバックでした。
当時、サッカーのスーパースターと言えばペレでした。攻撃的なポジションで点取り屋がサッカー選手としての人気のバロメーターでした。ヨハン・クライフも得点シーンや攻撃的なプレーが特徴です。
ゲルト・ミュラーは西ドイツのポイントゲッターでしたが派手さはありませんでしたね。イングランドのジョージ・ベストは派手さはありましたが日本では通の間での人気にとどまりました。
そんな中、センターバックのフランツがなぜ人気だったのか。それはリベロというシステムと彼のプレースタイルによるものです。
センターバックと言えば、相手の攻撃を跳ね返す、相手のフォワードをマークしてプレーさせないというリアクションタイプのプレーが多かったのですが、フランツの場合は最終ラインでボールを持ち、顔を上げて周りを見て、効果的なパスを供給する。パスを出して相手が混乱するとフランツはするするとポジションを上げて相手ゴール前に現れる。
長身で背筋を伸ばしたプレーがあたかも皇帝、カイザーという名にふさわしくフランツ・ベッケンバウアーが別名皇帝と言われる所以だったわけです。
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